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ある三人の、とある10年間 坂田美之助 (株)ミノスケ オフィス・コブクロ社長

“運命の出逢い”という言葉がある。たとえば、男女の出逢いであったり、恩人との出逢いであったり、シチュエーションはさまざまだが、
自分の人生を変えてくれるような出逢いを指すことが多い。坂田美之助氏とコブクロも、まさに“運命の出逢い”をしたのだろう。
ただ、普通のそれと違っていたのは、この三人の出逢いは、三人の人生を大きく変えただけでなく、何百万かの人々にも影響を与えたこと。
オフィス・コブクロのミノスケ社長が、二人との10年と、二人への想いを語ってくれた。

年末の晩、2人組が唄っていた

 1998年の12月に、僕がやっている事業のひとつ、ゲーム業界の会合があって大阪へ行ったんです。それが終わって帰ることになり、同じ駐車場に車を止めていた仕事関係の人達と一緒にひっかけ橋(大阪:ミナミの戎橋)を渡りました。夜9時か10時だったか、心斎橋通りの店はみんな閉まって、ストリートミュージシャン達がずーっと並んでましたね。その中にコブクロという2人組がいて、そこでちょっと足を止めて聴きました。それから駐車場まで行ったんだけど、僕はなんとなく「もう一回戻ってみるから」と。みんなは「じゃあここで」と言うので、ひとりで戻って、20分間くらい橋の上で小渕と黒田の歌を聴いていた。20〜30人くらいの聴衆がいたかな。僕が聴いたのは「桜」と、あとはカヴァーだったと思います。その「桜」に突き抜かれて、すごいなあ、と動けなくなってしまったというかね。年末の寒い晩でした。

 それまで自分の中には「そんなとこで唄ってても…」というのがあって、足を止めたことがないんですよ。そういう人間でした、はっきり言って(笑)。ところがコブクロには、もう一回引き返してみようという気になったんですよね。さらに名刺を渡して「来年の3月、うちの店でゲームの新作展示会があるからちょっと唄いに来てくれないか?」という話をしました。唄ってもらうからには、当然ちゃんと機材も用意してあげないと…といろいろ考える期間が必要だったので、年明けに彼らに電話をして、難波のホテルのロビーで二人に会いました。

 あとから聞いたんですが、初めて逢った時、彼らは僕の名刺を楽譜にはさんだまま持ち帰ったそうで、1月の路上ライヴの日、それが楽譜からヒラッと出てきて、「そういえばこの人、連絡くれるって言ってたけど、まだこないな」と二人で話していたらしい。僕が彼らに電話したのは、偶然にもその翌日だったようです。

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僕がやれる範囲で応援しようか?

 そして3月、彼らは約束どおり来てくれた。大雨の日で大変な状況だったんだけど、頑張って唄ってくれました。ライヴ後に駆け込んで来てくれたファンが二人いたんですが、その子達のために1曲唄ってあげてましたね。その子達はもちろん感動してましたよ。で、全部終わったあと「今、君達はどう(活動)してるの?」と訊いたら、人にもらったという名刺をたくさん見せてくれました。「どこにも所属してないの? いい歌持っているのに、どうして?」と訊くと、誘いはあっても結局いい話はなかったと言うんですね。唄わせてあげるからと言われて行ったら1,000円もらって帰されたとか、バーで唄わされたとか、そんなのばっかりだという話で。「じゃあ、僕がやれる範囲で応援しようか?」とひとこと言ったんです。

 とは言ったものの、初めてのことなので方法がわからない。そこで、どうやって応援したらいいのかということを、約1ヵ月半かけてまとめにまとめました。ファンとは何だろう?という分析から始めて、ミュージシャンて何だろう? 僕が応援しようとしているこの二人はどんな人間だろう?という基本的なポジションについてですね。デビューまでのストーリーなんてことを考えたのではなくて、どのような形でやっていくか、自分に何ができるかと。だって、ミュージシャンとしてどうとか、技術があるとかないとか、そんなことは、和歌山の空気しか吸っていない僕にわかるわけがないですから。

 ただ、彼らはテープをダビングして売っていたんだけど、カーステレオで聴いたらあまりにも音質が悪くて、フィ〜ンフィ〜ンて変な音までする。これでは彼らがせっかくいい歌を作っても、そのよさが伝えられないと思った。まずこれをちゃんとした形にしないと…と。そこで僕の学生時代の後輩の清水興氏(NANIWA EXPRESSのベーシスト)に、「良いか悪いか聴いてほしい」と電話を入れました。カセットを聴いてもらったら、興ちゃんは「エエ感性を持ってるよ」というようなことを言ってくれたと思う。それじゃあ、CDってどうやれば作れるの?どこでどうやって録音できるの?しまいには「おまえ、プロデュースしてくれ」ということで、清水興プロデュース、神戸のチキンジョージで、連日徹夜しながらインディーズ1枚目のCDを作りました。

 でも、僕としては、初めてのCDという喜びよりも、「疲れたよ〜」という感じ(笑)。いつ、何時間で出来上がるやら、制作費に幾ら掛かるのやら、何がどうなるか全くわからないまま、作るぞ!という意気込みだけでやりましたから。だから、不安なことばかりながらもようやく完成できたという喜びはあったけれど、まずは「やっと終わった…」。

 でも、これでとりあえずは、音楽としてストリートで買って頂けるコブクロのCDが出来ました。

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彼らと夢を追いかけたいと思った

 僕は27歳の時に起業して社長になって、事業をなんとか軌道に乗せようと、20年間、とにかく毎日毎日一生懸命仕事するばっかりで。まだ若かったし、息を抜かず、振り向かずにやってきた。そういえば学生時代に少しはバンドもやっていたのに、その音楽すらあまり聴かなくなった。そんな時にコブクロの曲が僕を突き抜けて、彼らと話をした時に、なんとなく一緒に夢を追いかけてみたいなと思った、ってことですよね。今まで、仕事にあくせくしていた自分、「あ、俺って夢を忘れてたのかな、現実ばかりに追われてたなあ」と。彼らと出逢った頃は会社もある程度安定してきていたので、心の余裕みたいなものもちょっとあって…。彼らの夢に自分の夢を託してみようと思った。理屈は何も無かったです。一生懸命唄ってる彼らと、一生懸命仕事をしてきた僕だから、なんとなくわかり合えたという気がします。

 上手いか下手か、ニーズがあるかないか、そんなんじゃなくて、とにかく一生懸命応援するよということしか僕には考えられなかった。失敗してもええやん、三人で一つだと。もちろんコブクロの曲は好きだったけれど、デビューできるかとか、CDが売れるかとか、そんなことは素人の僕にはわかりません。だから、たとえば、どこどこのプロダクションは著作権料も公平に分配する非常にファミリーな事務所らしいから、この先、二人が応援されてデビューできるようになった時は、あそこに入れてもらえたらエエんとちゃう?とか言ってたんですよ。