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ある三人の、とある10年間 坂田美之助 (株)ミノスケ オフィス・コブクロ社長

「私は背中を押す以外に何するの」

 ただね、手前味噌に聞こえてしまうかもしれないけど、夢を追いかけさせてくれた最大の理解者は、はっきり言って、妻です。コブクロを初めて家に連れて帰った日、「二人を応援しようと思うんだけど、どう思う?」って訊いたんです。そしたら、「どうもこうも、家に連れてくるってことはやるって決めてんねやろ」と言うから、「うん、そうやねん」て。そしたら「もう決めてるなら、私は背中を押す以外に何するの」と。で、「先々、多分こんだけお金が要ると思うんだけど」と指を立てたら、「わかった」って。その時の彼女が、百万単位、千万単位、どちらを想像したかわからないけど(笑)。平日は社長やって、土日はコブクロと行くわけでしょう。帰ってこないわけですよ。さらに、ポルトヨーロッパでのライヴの時は僕が前説して、小渕と黒田が唄って、横で妻と娘二人がCD売って。あえて言うなら、“家庭内工業”とでも表現すればいいかな。それを一日に3ステージくらいやりました。

 でも、コブクロって僕達の事務所のミュージシャンでしょ。自分達で作ったものは、まず自分達で売るのが当たり前。それでダメだったら人様にお願いするけど、最初はできるだけ自分達でやるんです。それは、今までやってきた全ての事業においてそうです。全部やって、これ以上、自分達ではまかないきれないくらい大きくなったら人に任せる。コブクロも、そういう感覚です。

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手探りだけど自分なりの方法で

 和歌山から応援するにも、ひとりじゃ何もできないなと考えた時、僕が以前に手伝ったことのある選挙活動というものを思いだしたんです。選挙というのは1人が賛同するともう1人を呼び込んでくれる。すると2人が4人、4人が8人、8人が16人とだんだん増えていってどこかでボーンと爆発するんですね。こうやって広げるにはどうしたらいいのって考え、まず“30人ライヴ”と呼びかけて、それをファンの方に主催してもらったんです。ファンのみんなに助けてもらおう、みんなと一緒にやろう、というのがこの30人ライヴの発想なんですけど。それを100ヵ所近くでやりました。僕の車で彼らをライヴの会場まで送り迎えしてたんだけど、1年で8万キロくらい走ってその車が潰れました(笑)。この30人ライヴはじめ、ファンのご自宅ライヴ、50人ライヴとか、成功して温かい雰囲気で終わったライヴがほとんどでしたね。

 だけど、ブッキングに失敗して飲み会の余興みたいなものをやらされたこともありました。箸でグラスを叩くような客ばかり。そんなところで唄わせてしまったことが申し訳なくて、唄ってくれている二人を見るのが辛くて…。「帰ろう」と二人に目配せしたんだけど、逆に二人はまぁまぁと片手で僕を制し、ウインクするように「社長、我慢して。僕らも一生懸命やるから」と目で訴えてきた。結局最後までやったんですけど、終わってから「ごめんなさい、俺が悪かった」と頭を下げました。こんなブッキングはもう二度と入れさせないからって。そしたら「社長〜、こんなこと、ストリートではいくらでもありますよ! 全然気にしないでください。僕達、全然気にしてませんから」って言うんです。僕としては、ブッキング担当者に、飲み会の余興みたいなものは絶対に入れるな、と徹底的に言っておいたにもかかわらずこんなことになったので、責任感じて、情けなくて、二人に頭下げました。この一件は本当に申し訳なくて、今でも忘れられない。

 とにかく手探りでしたけど、今まで自分がビジネスをやってきた感覚と、いろいろなところで得た手法やセンスを取り入れながらやっていこうと。僕は携帯電話事業をやっていたこともあって、途中でメディア活用が絶対必要だなと思いました。ストリートライヴも、今日はどこどこでやりますよ、と携帯で配信するんです。ファンが増えてきた時、そのファンが誰なのかということをちゃんと把握しないことには、何にも伝えられない。だから名前とか住所を書いてもらって、ある程度データベース化して、コブクロの情報を携帯電話のサイトにアップする。彼らも移動するじゃないですか。そうすると、ファンの子が今日も明日もやってると思って来てくれてもいないことがあって、待てど暮らせど会えないことになるでしょう。やっぱりどこかで情報の発信が必要だと思ったわけです。

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協力してくれたファンと恩人達

 彼らの曲がどんどん育ってくるから、それも聴いてほしくて2枚目、3枚目のCDも作りました。ストリートで唄うだけだと、それを聴いた人達が誰かに伝えたいと思ってくれても、ツールが無いわけです。ビデオに関しても、ライヴビデオを作るというより、唄っているのはこんな二人です、という彼らの姿の紹介用として作った感覚でした。当時から彼らは、ライヴで伝えたいという情熱がすごかったですから。とにかくCDやビデオという形にして「こんなにいい歌を歌っているミュージシャンがいますよ。あなたからまた誰かに教えてあげてください」と。要はさっき言った、ファンが次のファンを作る、ということです。ファンがファンを作ってミュージシャンを育てていくというのが、うちの合言葉みたいなもの。ファンに育てられるミュージシャンがいてもいいんじゃないの?と。だって僕もファンのひとりだから。

 2枚目、3枚目のCDを作ったのは、淡路島のうめ丸というホテルですね。興ちゃんが紹介してくれて。うめ丸の社長さんが音楽好きで、敷地内でスタジオも経営しておられたんです。僕らは広間みたいなところでガヤガヤと合宿してね。社長には本当にお世話になって、今でも親しくさせて頂いています。興ちゃんはプロのミュージシャン仲間を連れて来てくれたり、自分でもベースを弾いてくれた。すごく豪華な参加ミュージシャンのインディーズ盤ですよ。でも当時、CDを置いてくれたのはミヤコ(CD店)さん、ただ1店だけでした。ミヤコの心斎橋店さんがすごく好意的に、強烈に売ってくださった。おかげでインディーズ盤として随分話題になったと思います。

 清水興、うめ丸の社長、ミヤコの店長、みなさん、ずっと応援してくれている恩人です。興ちゃんはミュージシャンを志して医大を辞めた人。彼がもし医者になっていたら、今の形のコブクロは絶対にあり得なかった。その運命にも感謝してます。

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新たな戦力も加わり、デビューへ

 当時、音楽面で彼らと意見が揃わないことは全く無かったですね。出来上がってくる曲がどれもすごく素朴で、伝わってくる。映像がパーッと浮かぶんですよ。僕はコブクロの歌を「夕焼け小焼け」みたいな歌、といつも言ってた。最初からいきなりズドンと飛び込んでくるわけではないけど、気がついたら心に染み込んで消えない、知らずに口ずさんでいるような。何度も言いますが、僕は音楽業界の素人でCDの作り方すら知らない人間でしたから、最初はデビューさせようとか、そんなこと全く考えてもいなかった。ただ途中から、彼らのこの素朴な良さをもっと広く大きく伝えるためには、若い年齢という要素も必要かもしれないと思い始めたんです。今のこの良さを100パーセント伝えるには、なるべく早いほうがいいんじゃないだろうかと。

 その頃、人を介してキョードー大阪の関岡君に出逢った。200人か250人くらいの大阪クラブクアトロでのイベントライヴか何かを観てくれた後、「大阪城が見えました〜!」とかなんとかワケわからんこと大声で言いながらドーン!といきなり楽屋に入って来た男がいて、この人だれなん?と(笑)。そこでイベンターさんとして紹介して頂いた。僕は、あー、イベンターさんというのはみんなにこういうこと言うんかな?と真に受けなかったんですけど(笑)。でも熱意を持って長いあいだ情報を訊きにきてくれ続け、結局「見えました」と言った数年後、実際に大阪城まで引っ張っていってくれた。彼の功績も大きいです。それから三浦に出逢い、またひとつ戦力が加わった。最初は「コブクロの仕事をお願いするかどうかはわからないが、俺と仕事する気があれば来てくれ」と言ったんです。ビジネスをする上で、まず人間同士、僕と合わないとうまくやっていけませんから。そして「よろしくお願いします」という返事が来た。関岡君も三浦も古くからの重要メンバーで、僕は“チームコブクロ幹部”と読んでます。“スタッフ”は、ファンの皆さんのことなので。

 そうこうするうち、ライヴの動員数もどんどん大きくなって、2000年のZepp Osakaライヴの時、レコード会社さん6社をご招待したんです。そしたら6社ともデビューに手を挙げてくださった。その時に最も考えたのは、コブクロを大事にしてくれる会社であること。2点目は「どこならお互いにとっての“1番”になれるか」でした。所属アーティストが何百人もいたらきついかもしれないなと。で、ワーナーさんは抱えてるアーティスト数も程よく、温かい感じがしたんですよ。あと、精神的にも「ぜひ、うちに来てください!」という強いものを感じましたね。契約することになって初めてワーナーさんへ伺った時、僕は「絶対にワーナーの星になります。応援してください」とお願いしました。