コブクロ
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- 黒田 俊介
- 1977年3月18日生まれ
- 身長193cm
- 大阪府出身
- O型
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- 小渕 健太郎
- 1977年3月13日生まれ
- 身長168cm
- 宮崎県出身
- O型
2人の出会いは、1998年5月。当時、某会社のセールスマンをしていた小渕は関西全営業マンの中で、 トップの成績を取り、何か息抜きはないかと週1回、土曜の夜だけ、地元、堺の商店街で路上ライブをやっていた。 一方、黒田は、その約2〜3年前から堺の商店街で、路上ライブをやっていた。当時、路上でライブをしていた仲間たちは、人通りがなくなると集まって盛り上がっていた。 その中で、お互いの事を知る。
「自分、歌、うまいなぁ」
「自分もめっちゃ、うまいなぁ」
と、まだぎこちない会話を交わしながらお互い、相手を探り合うように、音楽性や、ギターの話ばかりするようになる。
ある時期から、黒田は、ギターケースを抱えては来るが、一曲も歌は歌わないまま、ずっと小渕の前で歌をきいている、という日々が続く。
一方小渕のほうは、パワー全開で6時間位、歌っていたため、翌日はしわがれ声で会社に出勤していた。
1998年9月当時、地元のストリートでは、ミスチル、UNICORNなどのコピーばかりがあふれていた。 そんな中、黒田と小渕があるストリートミュージシャンの唄を聞いていたとき、
黒田:「こんな感じの歌、カッコエエよな」
小渕:「こんな感じやったら、すぐ作れる」
と小渕から黒田にオリジナルの曲提供話が出る。一週間後に出来あがった曲が「桜」。
黒田が打ち明けるように
黒田:「実は一緒にくみたいんや」
小渕:「ぜんぜんOK」
その夜は朝まで音楽について話した。
結成後の土曜日はミナミ、天王寺などへ出て歌うようになる。 その頃2〜3曲オリジナルはあったが、路上ではほとんど歌うことはなく、「オリジナルあるんですか?」とお客様に言われたときだけ歌っていた。 その時の反響に2人は驚く。ただ「○○っぽいですね」と言われないようにするためにはどうすれば良いのか?必死で考えた。 オリジナルをメインに活動するようになり、お客様も増え出す。につれて警備員との戦いも始まる。
小渕、1999年1月には、約4年間つとめた会社を、音楽をやっていきたいという理由で辞める。 次第にライブスケジュールが詰まり、ストリートライブは不定期にはなったものの、時間があれば、路上にでて、ひっかけ橋や天王寺でファンを確実に増やしつづけた。 その他、ラジオにも出演。大阪だけでなく、近畿全域でその勢力を伸ばしていく。
インディーズ時代からオリジナルは40曲を超える。うち一曲は、OverDriveさんというバンドに提供した曲も。 2000年8月19日、20日には、ZeppOsakaでの単独2Daysライブを終え、また一まわり成長したコブクロ。 12月には、インディーズ最後のアルバム3rdが発売、そしてインディーズ最後の厚生年金会館芸術ホールでの単独2Daysライブも無事終了。 そして、2001年春、ワーナーミュージックジャパンよりメジャーデビューした二人。一人でも多くの人に僕達のメッセージを伝えたい。 そして出した結論がメジャーデビューだった。
コブクロの原点はストリート。生音に関しては誰にも負けないくらいよく知っている。ギターを出して二人で唄えば、そこでもうコブクロが成立するのだ。
ちなみに、「こぶくろ」とは「桜」を作った時の歌詞カードに「こぶちとくろだで『コブクロ』でええか」と書いていたのがそのまま今も続いている。